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会計×IT の深層へ

二種類の実務知識

仕事をする上ではさまざまな実務知識が必要になるが、そうした知識には二つの異なるカテゴリーのものが含まれている。

第一のカテゴリーは、学べばそれを仕事として実践できるというタイプの知識であって、たとえば、簿記とか法律、貿易手続に関する知識がこれにあたる。特定の知識を持っていれば特定の仕事をそれなりに担当することができる。知識は学校や書籍で学べることもあるし、職場で伝授されることもある。いずれにせよ、勉強すればそれを使って仕事ができるという種類の知識である。世の中で「専門家」として認知されている職業の基礎には、たいていこの種の(膨大な)知識がある。もちろん知識を身につけているだけで良い専門家になれるわけではないが、それでも専門家をその他の人々と区別するのは、こうした知識の有無である。

第二のカテゴリーに属するのは、学んだからといって実践できるわけではないタイプの知識である。たとえば、プロジェクト管理とかシステム設計に関する知識がこれにあたる。良いシステム設計について書かかれた本は沢山あるが、それらを読破して覚えたからといってシステム設計が身につくわけではないし、プロジェクト管理の方法論を熟知しているからプロジェクトの成功が保証されるといったものでもない。逆にその方面の本など一冊も読まないのにきれいな設計が出来る人もいる。天性のプロジェクトリーダーもいる。

この種の知識をそのまま習い覚えることにはあまり意味がない。どんな風にシステムを設計するか、どうやってプロジェクトを運営するかといったことは、結局、その場その場で自己責任で判断するしかないからである。本に従っていても、失敗したら誰も褒めてはくれない。

では、こんな知識は学ぶ価値がないかというと、そうではない。ただ、その価値は、第一の知識とは異なるところにある。「そのまま実践できる」という価値はないが、こうした知識は、目の前の現実を理解する際の「視座」を提供してくれる。たとえば、「関心の分離」や「モジュール強度・結合度」といった概念を理解していれば、そうした視点からみて自分の設計はどうなのか問いかけることができる。要件定義と実装を区別して考えることを理解していれば、今、プロジェクトで起きている問題がどちらの領域に属するのかを判断して適切な手が打てるかもしれない。こういった視座はひとつでは足りない。ウォータフォールとアジャイルメソッドのように一見対立する複数の視座を持てば、現実を色々な角度から眺めることができ、そうでない場合と比べて、状況をより深く理解することができる。これが第二の知識の価値である。こうした知識は、自分たちが置かれている状況を解釈し評価するためのツールであって、解釈と評価を踏まえて実際に何をやるべきかを判断するのは自分たちである。ではあるが、このような知識にもとづく視座があることで、本当に助かる場合が多いのだ(だから、第二の知識に対しては、どれが「正しい」かではなく、どれが視野を広げてくれるかを問うべきだ)。

二種類の知識を摂取する方法は異なっている。第一の知識は「修得」や「習熟」の対象だ。習い覚えるのである。第二の知識は「思考実験」と「批判」を通じて自分のものとする。思考実験とは、その知識が主張するところを、自分の過去の経験に照らしてみたり、例に当て嵌めたりして、仕事の現場でそれが意味することを具体的に把握することであり、批判とはその主張の依って立つ前提や制約、暗黙の了解、その主張があえて無視していることは何かを考えてみることである。否定するための批判ではなく主張の輪郭を浮かび上がらせるための批判である。こうした作業を通じて第二の知識は自分の手に馴染む道具になる。

現在の日本の学校教育では、第二の知識の摂取方法をあまり教えない。それどころか、こういった「修得の対象ではない」タイプの知識があることすら、あまり明確には教えていない。この二つを区別して考えない人が多いのも道理である。

第二の知識を第一の知識と区別しないためにひっかかるワナが二つある。ある時は、今自分が置かれている状況にぴったりの処方を本の中に探し続けて、現実を見る努力の方がお留守になってしまい、結局、適時適切な対応を取れなくなる。別の時には、本を読んでも解決法が書かれているわけではないからといって経験至上主義に走り、他人の膨大な経験から抽出された知見を自分の視座とする機会を逃す。現象としては正反対だが、どちらも根は同じだ。

また、第一の知識を持つ人は専門家と呼ばれるが、第二の知識を身に沁ませた人は別に何とも呼ばれない。だから自分のキャリアに不安を感じると、人は、どうしても第一の知識に走るか、あるいは第二の知識をあたかも第一の知識のように「修得」しようとする(アプローチが誤っているのでこれは失敗する。すなわち「知識はあるが使う能力がない」というさまになる)。

非定型的な仕事においては、本当は第二の知識がクリティカルな要素となっているケースが多いと思うのだが、両者の違いがあまり認識されず、また、第一の知識の方が具体的で「商品化」し易いためにこんなことになってしまう。

残念なことである。