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秋葉原の事件

秋葉原の事件について、刃物の所持の規制が無いのが問題だとか、いや社会の構造的な問題が根っこにあるとか、色々言われており、そうした要因はたしかに関係しているだろうが、少なくとも加害者の心理の動きは、非常に単純で理解しやすいような気がする。すなわち:

「無視されるのは憎まれるよりつらい」


というのは、今回の事件(あるいはこれに類似した、以前の事件)では、事件の構成が「世間の耳目を集める」という一点に絞られているように見えるからである。白昼の秋葉原歩行者天国という舞台装置、トラックで突っ込むという演出、無差別にダガーナイフで切り付けるというストーリー性(あるいは没ストーリー性)。心理分析の手がかりとしてネットに残されたメッセージ。すべてが、世間を驚かせ、恐れさせ、深く考え込ませることを狙っているとすれば、辻褄が合う。確かに不条理な事件なのだが、この不条理性は意図された演出なのである。

つまり彼は、無視されるよりは憎まれんがために「現代社会のひずみ」を示す一幕の劇を自作自演したわけだ。

これが彼にとっては劇であると見れば、透けて見えてくるのは、見かけ上の不条理さとは逆に、この劇の辟易するほどの平凡さ、陳腐さである。猿芝居としか言いようがない。本当に、こんな猿芝居に巻き込まれた被害者とそのご家族、友人の心中を察するに余りある。彼以外の出演者には無差別殺人の被害者という無個性な役割しか割り当てなかったところにも、彼の人間観の弱さ、演出家としての才能のなさが明らかである。

これは彼にとっての「一発逆転ねらい」だったのである。陳腐なストーリーと演出、平凡な主演俳優であっても「上演」したというだけで、世間に驚愕を与えられる芝居。「社会から不当に無視された人材」と自己規定する人間にとって、これがきわめて「投資対効果」が高いソリューションであることは明らかだ。

この解釈が正しいとすれば、世間がこの事件の不条理さ、残酷さにおののいて彼の心理の特殊さ・異常さを言いたて、分析し、あるいは彼の事件を社会のひずみの表れと解釈してあれやこれや論議すればするほど、彼の願いはよりいっそうかなえられることになるだろう。また、さらに悪いことには、彼と類似の思考回路を持つ人間に、同様のソリューションを採ることへの誘因を与えることになるだろう。

僕らにできるベストなことは、この種の事件を、平凡で愚かで身勝手な人間が考えつきそうな、残酷だけれどもありがちな事件として、冷静に処理し、犠牲者を忘れず、そして平凡な加害者を忘れ去ることじゃないかと思う。それが彼の意図に最も反しているが故に。