色々な文献を斜めに読むと、このことばには二つの意味があるようだ。
- ある人の仕事の成果物が他の人にも理解できるようにすること(成果物の理解可能性の確保)
- 決まった手続きを踏めば担当者が誰であろうと大差ない結果を得られるよう、仕事のプロセスを標準化すること。(成果物の水準に関する属人性排除)
まず、一点目については二、三の留保条件をつけた上で私も賛成する。
留保条件のひとつめは、前提となる知識水準が適切に設定されていることだ。「理解」は「知識」を前提としている。開発組織内には、メンバーがある水準の知識を持つべきであるという合意が、暗黙にせよ明示にせよあるはずだ。この水準を無闇に高くすると、それをクリアできる人材が少なくなり、仕事の継承に支障をきたす。一方、水準を低くするとその開発組織の競争力は時が経つにつれ落ちていく。なんらかの戦略的意図のもとにこの水準がきちんと設定されていることが必要だろう。
ふたつめの条件は、状況に適したコミュニケーションの手法や枠組みを用意することだ。100人の開発チームが1年かけて開発したシステムを10人のメンテナンスチームに引き継ぐ際に、膨大な文書を渡し、ちょっとレクチャーをして、はいお終い、というのは、どだい無理な話だ。そのシステムは運用はされても改良は不可能になる。引継ぎ文書の質には関係ない。
ともあれ、こうした条件が満たされた上でなお、結果が他人に理解されないのでは、立派な仕事と言えないのは当然だろう。
二点目はもっと問題含みだと思う。まず、この意味での「属人性の排除」ができれば、リスクの軽減になり、コストの削減にもなるだろう。したがって、組織の立場に立てばこれが望ましい話であることは間違いないと思う。しかし、「望ましい」ということと「可能である」ということは全く別だ。この意味での属人性の排除を主張する方々は、製造活動とのアナロジーを強調する。しかし、システム開発は製造活動とは相当に質を異にしていて、むしろ製品の開発活動に似ているという主張もかなりの説得力がある。過去に「ソフトウェア工場」などのうたい文句のもと、工業的アプローチが喧伝された時期もあったが、それも鳴りをひそめた。してみると、この意味での「属人性の排除」が成功するというのは、少なくとも現時点では、「希望的観測」か、良く言って「信念」とみるのが妥当ではないか。
では反対に、「本来、システム開発活動は創造的なものであり、プロセス標準化による属人性の排除にはなじまない」という説が妥当であったと仮定した上で、それを無視して、プロセス標準化をすすめた場合には何が起きるだろう。属人性が排除されると開発要員の代替可能性が高まり、それは人件費単価の抑制につながる。人件費単価が下がると、才覚のある(創造性のある)人間は、システム開発業を避けて別業種に移動するだろう。そうすると業界の平均的スキル水準が下がるので、開発組織はより一層プロセス標準化に力をいれ、スキルの低い人員でもなんとか仕事をこなせるようにする。そうすると、人件費単価を下げる圧力はいっそう強まり、優秀な要員はよりいっそう他業種に出て行くことになる。このスパイラルは、他業種へ出て行ける人間がいなくなるまで続く。業界の原動力となるべき人材はもっと早い段階で枯渇する。
どうだろう。いくぶん極端かもしれないが現実とかなり符合していないだろうか。
そうなってもなお、中国やインドと比べて十分な競争力を発揮できるならまったく問題はないわけだが、これらの国々では、最優秀の人材がこの業種に入ってきているのである。
注意して頂きたいのは、プロセス標準化による属人性の排除という手段は競争力の向上にまったく貢献しないと言っているわけではない点である。むしろ個別企業レベルで短期的には効果があると思っている。その上で、それが業界全体でみた競争力の向上に対してマイナスの影響を与える可能性を指摘しているのである。経済学でいう「合成の誤謬」にちょっと似ている。
また、プロセスを標準化すること自体を否定しているわけでもない。ただし標準化の利益と限界には注意すべきだと思う。私としては、システム開発においては、成功の可能性を高めるということにではなく、少しの注意で避けうる失敗を回避するという目的にこそ、プロセス標準化は役立つと思う。これはこれでだいじなことだ。しかし失敗を避けることと成功することは同義ではない。
私は現在も日々仕事としてプログラムを書いている。そうした経験をもとに言うと、創造的なプログラムを書くには天才でなければならないとは思わないが、全く才能がなくてできるものでもない。企業戦略の立案や新製品の開発、技術的研究とたぶん同等の知的能力とマインドが要求されると思う。単純労働ではないが別に凡人の域をはるかに超えた仕事でもない。普通の知的プロフェッショナルの仕事なのだ。
「非属人化」志向と「天才プログラマ」志向という両極端の見方が早く中和されて、
普通の人間観にもとづく仕事の体制が、この業界に早く根付いて欲しいと思う。