Hot Heart, Cool Mind.

会計×IT の深層へ

年頭にあたって

コンサルティング会社を辞めてそろそろ二年半になる。その間、依頼を頂いた時にはコンサルティングの仕事をしながらも、念願どおり、パッケージソフトウェアの開発に相当の時間を割くことができた。


仕事について以来二十年になるが、時期により比重の差はあれ、コンサルティングシステム開発の二足のわらじを履いてきた。ふつうコンサルティング会社では、ポジションが上がるにつれ、システム開発のベタな仕事には携われなくなりがちだが、私の場合、さまざまな幸運な事情と自分の選択で、ずっと開発の仕事(ありていに言えば、プログラミング)にも携わることができた。辞めてからは一人で開発してきたわけなので、ある時期にはそれこそ寝ても覚めてもプログラムを書いていた。おかげさまでソフトウェアの方も、なんとかもうふた山かみ山越えれば売り物になるかなというレベルになってきた。もちろんその最後のふた山み山がなかなか大変なのではあるが。

なんで私はこんなことをしているのか。自分の着想を目に見える形で表せる、このシステム開発という仕事が好き、ということがまず基本としてある。システム開発は楽しい仕事だ。プログラミングを趣味とする人が世の中に如何に多いことか。世間的に見ればプログラマシステムエンジニアは3K職種と言われ、羨ましがられる職業ではないかも知れない。しかし、それは、2006年の日本という特定の社会的文脈においての話である。システム開発はもっと楽しい仕事になる潜在性を秘めている。職業を選択する際には誰しもその職業を取り巻く社会的文脈から自由ではない。しかし、その文脈を自分で変更できるか、あるいは少なくとも抜け道を見出せる可能性があるのなら、私としては自分の直観に忠実に生きたいのである。

もうひとつの理由はそのチャンスがあることだ。今のシステム業界では職域がどんどん細分化され差異化されていく流れがある。コンピュータ導入当初は経理部や生産管理部といった部門の方々がコンピュータを勉強してプログラムを書いたと聞く。今ではユーザ側と開発側は別組織になり、プログラマシステムエンジニアが分かれ、業務コンサルタント(!)とITコンサルタント(!)とパッケージコンサルタント(!)が現れ、最近ではアーキテクト(!)まで必要ということのようだ。しかしこんなに職域を細分化してかつ仕事の境界を明瞭に定義できる程、われわれはシステム開発という仕事を理解しているのだろうか。コンサルタントシステムエンジニアの間には既に確執がある。次にはアプリケーションSEとアーキテクトが角突き合わせるのだろう。分業して専門性が高まれば生産性が向上するというのは、ことシステム開発の分野では、残念ながら観察された事実というより「願望(さらにあえて言えば妄想)」に近いのではないか。

一方、私自身の経験で言えば、いわゆる上流と言い下流と言っても、必要とされるスキルはさして変わらないように感じる。オブジェクト指向のクラス設計をうまく出来る人は、それなりの勉強をすれば、スッキリと美しい業務や組織を設計できるに違いない(じっさい、両者は似ていると思う)。その逆も成り立つ。人生のある時期においてある領域を深く追求して専門性を高めることは確かに重要だが、異なる時期には、また異なる分野に興味を移せば良いのである。

プロジェクトを実行する時に役割分担は不要だと言っているのではない。もちろん必要である。私が嫌っているのは「役割=責任=職域=興味の範囲」という四面等式である。プロジェクトにおいて、最終結果に対する責任は共同責任であるべきだ。役割は分担するが流動的であるべきだ。職域は排他的に考える必要はない。プログラマでありかつ購買業務の専門家というような人になることを称揚すべきだ。役割を分担するにしてもお互いに相手の仕事の領域に興味を持って学び、口を出すべきだし相手の話も聴くべきだ。その方がずっと良いシステムが出来るだろう。

また、分業を強調するあまり、現在のシステム開発では、自分の開発したものが何なのか、ユーザの仕事の上でどんな価値があるのか理解さえできないまま、ひたすらに開発するといったことが、あたりまえのように行われている。世の中にシステム開発の進め方に関する書籍は多いが、ほとんどは何を作るかに係らず「如何に作るか」について述べている。しかし、「何を作るのか」は重要ではないのか。自分が作ったものが社会にどのように受け入れられ喜ばれているのかを理解できない仕事とはいったい何なのか。マルクスは、労働者は自己の労働の成果から疎外されていると言った。彼が言ったのは経済的意味においての疎外だが、現代のシステム開発従事者の多くは、労働の成果から精神的にさえ疎外されているように、私には見える。

この分業のありようと疎外状況は、システム開発という仕事の宿命ではなく、先にも述べたように現代の社会的文脈の中でたまたまこうなっているという種類のことがらであると、私は考えている。さらに、こうした状況が生産的な仕事に結びつくとは、私には到底思えない。だから、適切な枠組みを設ければ、過度の分業を回避し、開発者と被開発物の距離をもっとずっと縮めることが可能だし、そうすれば、より多くの価値を社会に提供できると信じている。これが私の目に映る「チャンス」である。

システム開発者である自分の手に、自分たちの手に、作ることの喜びを取り戻したい。これはこの十年来考え続けてきたことである。ここ二年半は、そのための準備を具体的に整えてきた。その準備が十分かどうか、私にはどこまでいってもわからないことではあるが、今年を転機の年としたい。