分け入っても分け入っても青い山
山頭火のこの句を初めて読んだのはいつのことだったか。いつのまにかひっそりと、心の隅に根づいてしまった。
分け入っても分け入ってもと読むとき、心の奥深いところにある不安と戸惑いが共振する。しかし、分け入った先はきれいな青い山だ。この句では、所在の無い感じと明るさが不思議に混じり合い、読む時どきで違う色合いを見せる。
だからこそ多くの人が、この句を愛するのだろう。
ここには「至高の存在」はいない。人生の「究極の意味」も無い。しかしそれでもここには、一種の「充足」もある。
説明し得ぬことを説明し得ぬこととして受け入れた上での充足だ。
あるいはこんなことも浅知恵にすぎないのかもしれない。
分け入っても分け入っても青い山。
ただそれだけのことなのだろう。