あいにくわれわれは、こんな複雑系の方程式を解くアルゴリズムを持ち合わせないので、かわりに「仮置き」をする。絡み合った方程式の変数いくつかの値を、仮に決めてしまうのである。上述の例だと、役割分担かシステム機能のどちらかを決める。その上で、どんな問題が生じるかを見てみるのである。仮置きしたことによって見えてくる問題群は、数こそ多いかも知れないが具体性が増しているので、個別撃破し易くなっている。以前のもやもやした状況よりずっとましである。結果として各問題について解決の見通しがつけばしめたもの。仮置きを「本決め」にすればよいのだ。
代替案がいくつか考えられる場合は、自分たちにとって最も都合の良い案を仮置き案とする。自分たちがシステムを開発しているなら、一番簡素なシステムで対応できる案を仮にテーブルに置く。その仮置き案がうまくいけば、開発コストが安く済む。一方、ダメだったとしても、複雑な案を検討してうまくいかなかった場合ほどの損失はない。
仮置きを認めるなら手戻りによるロスを許容しなければならない。しかし、宙を漂う問題群を前にして、こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たないというような議論を繰り返すことに比べれば、そのロスは何ほどのものでもない。仮置きすることで、問題を想像の世界から現実のテーブルの上に引きおろすのだ。
「方針決定」ではなく「仮置き」することは重要だと思う。十分な根拠がない状態で「方針決定」すると、関係者の間にフラストレーションがたまる。自分の仕事を真剣に受け止める人間ならだれでも、確証のない状態で「方針」を押し付けられるのは嫌だ。結果として、その方針は誰が承認したのかとか、方針の根拠は何か、検討の手続きは十分に踏んだのかといった議論に多大なエネルギーが費やされ、肝心の点、すなわち「その方針を採った場合、何か不都合はあるのか」という点がなおざりにされる。
「仮置き」であれば、そのようなねじれは生じず、前向きな論議ができる。ダメだったら別の手を考えれば良いのだから。
有能なプロジェクトマネージャーは「仮置き」がうまい。仮置きすることを僕に教えて下さったのは、新日鉄情報システムの山下さんというマネージャーだった。製鉄所のシステム構築プロジェクトを何度もくぐりぬけてきた古強者だ。20年近くも前に、ある苦しいプロジェクトで一緒に仕事をさせて頂いた。知識ばかりは一丁前に貯えた私が連立方程式に絡め取られて堂々巡りしていると「杉もっチャン、こいつはまずどっちかに仮置きせなあかんで。仮置きしてから考えるんや」と諭して下さった。もう退職されてずいぶんたつ。年賀状だけは交換させて頂いているがお元気だろうか。僕は今でも「仮置き」でなんとか日々をしのいでいる。山下さんの仕事DNAは、僕の中に今も生きているわけだ。