簿記の本を読むと、仕訳には単純仕訳と複合仕訳があると書かれている。単純仕訳は、借方・貸方の勘定科目が一対一で対応している仕訳であり、複合仕訳は両者の対応が、多対多になっている仕訳のことだ。
たとえば、1000円の買掛金を支払う際に20円の割引を受けたとすると、それぞれの形式での仕訳は以下のようになる。なお、「割引」とは期限前に支払えば支払額をいくらか減じるという取引慣行だ。
〔単純仕訳〕
仕訳① | (借方) | 買掛金 | 980 | (貸方) | 当座預金 | 980 |
仕訳② | (借方) | 買掛金 | 20 | (貸方) | 仕入割引 | 20 |
〔複合仕訳〕
仕訳③ | (借方) | 買掛金 | 1,000 | (貸方) | 当座預金 | 980 |
仕入割引 | 20 |
実際の取引は一件であるが、単純仕訳では取引が二件あったかのように仕訳を二件作成する(会計用語ではこれを、「取引を擬制する」と表現する)。
単純仕訳も複合仕訳も、当然ながら勘定残高に与える効果は変わりない。上記の例をみればおわかりのように複合仕訳の方が取引を自然に表現できる。また、一対一対応は多対多対応の特殊ケースだ。だから、会計システムを設計する際には複合仕訳に対応できるようにしておけば十分で、単純仕訳についてはとりたてて考慮しなくともよいように思える。
しかし経理の実務では複合仕訳をきらう企業が相当ある。というのは、複合仕訳を許すと、勘定残高の増減分析が行いにくくなるからだ。仕訳は仕訳帳に記入され、勘定元帳に転記される。このながれは手作業でもEDP処理でも同じである。勘定元帳には「相手勘定欄」というものがあり、単純仕訳であればそこに各仕訳での相手勘定科目がしるされる。上述した例をもとにすれば、こんなぐあいだ。
勘定科目:買掛金 | 残高は貸方+ | |||
〔摘要〕 | 〔借方発生〕 | 〔貸方発生〕 | 〔残高〕 | 〔相手勘定〕 |
(月初残高) | 2,000 | |||
X社に支払 | 980 | 1,020 | 当座預金 | |
X社から仕入割引 | 20 | 1,000 | 仕入割引 |
一方、複合仕訳であれば、行単位で借方・貸方勘定科目が対になるという前提が置けないため、相手勘定は原則として不明となる。勘定元帳では以下のように「諸口」と表示する。
勘定科目:買掛金 | 残高は貸方+ | |||
〔摘要〕 | 〔借方発生〕 | 〔貸方発生〕 | 〔残高〕 | 〔相手勘定〕 |
(月初残高) | 2,000 | |||
X社に支払 | 1,000 | 1,000 | 諸口 |
単純仕訳を用いている場合は、勘定残高がどのような取引で増減したのか、勘定元帳をみることでほぼ把握できる。対して、複合仕訳を採用するとそれは不可能になることがご理解いただけるだろう。こうしたわけで、実務上、複合仕訳を避けることが多いのである。
勘定増減高の分析は、公表決算や経営管理の上で重要な情報を提供するために行われる。たとえば「設備投資額」は重要な経営情報だが、これは固定資産勘定の増減高の内訳数値だ。ところがこのような重要な情報を入手するために、現在の複式簿記のしくみでは、「勘定元帳の相手勘定欄の表示内容」といった、かなり貧弱な手がかりに頼らざるを得ないわけだ。
これはおそらく簿記の発達の歴史と関係している。複式簿記はルネサンス期のイタリアで成立したと考えられているが、その当初のねらいは債権管理だった。その後、もとでに対してどれだけ儲かったかを把握するために、損益計算のしくみが成立した。損益計算とは、「もとで(=自己資本)」についての増減内訳情報の作成処理であると言ってもさほどはずしてはいないと思う。別の言い方をすると、複式簿記の元々の使命はストックの記録であり、フローの記録については損益計算という限定的なかたちで、いわば「おまけ」的に追加されたと言ってもよかろう。
しかし、現在では、損益計算に加えて「キャッシュフロー計算」も重視されるようになっている。キャッシュフロー計算は、形式的にみれば現金および現金同等物についての増減内訳情報を作成することだが、実質的にはその他さまざまな勘定科目に関する増減情報が、キャッシュフローステートメントには織り込まれている。たとえば先ほどでてきた「設備投資額」もキャッシュフローステートメントに顔を出す。現預金出納帳がそのままキャッシュフローステートメントになるわけではないのだ。
こうした観点にたつと、複式簿記のしくみについて、「もとで」の増減を記録するだけではなく、貸借対照表の任意の勘定科目について増減を記録できるような拡張をほどこすことが求められていると思う。
具体的には、勘定科目に加えて「増減科目」を設けることで、目的を達することができると思う。仕訳の借方・貸方それぞれに勘定科目と増減科目を指定するのである。 この方式で先の取引の仕訳(複合仕訳の方)を作成すると次のようになる。
〔複合仕訳〕
仕訳③' | (借方) | 買掛金 | [決済] | 1,000 | (貸方) | 当座預金 | [営業債務支払] | 980 |
仕入割引 | [-] | 20 |
勘定科目の直後に、[]でくくって示したのが「増減科目」だ。P/L勘定科目である「仕入割引」については増減科目を指定する必要はない。P/L勘定科目自体が本質的には「利益剰余金」の増減科目であるからだ(*1)。「仕入割引[-]」は、「利益剰余金[仕入割引]」の略記法であると考えてもよい。
さて、増減科目が設けられたことで勘定元帳の表示も変わる。
勘定科目:買掛金 | 残高は貸方+ | |||
〔摘要〕 | 〔借方発生〕 | 〔貸方発生〕 | 〔残高〕 | 〔増減科目〕 |
(月初残高) | 2,000 | |||
X社に支払 | 1,000 | 1,000 | 決済 |
「相手勘定」欄が「増減科目」欄に置き換わり、その表示内容も「諸口」ではなく「決済」となった。これによって、「複合仕訳を用いた場合に勘定増減高の分析が困難になる」という問題が解決されることをご理解いただけると思う。
仕訳の項目が増えることになるが、入力の手間はたいして増えないだろう。まず、経理部門以外のユーザが入力しなければならない勘定科目はほとんどP/L科目であるが、上述したようにP/L科目に対しては増減科目を指定する必要がない。また、現在では多くの取引が自動仕訳の対象となっているので、そうした取引については増減科目も自動設定することができる。
増減科目を設けることによって、キャッシュフローステートメントをはじめとするフロー系の経営情報を勘定元帳から容易に入手できることになるし、複合仕訳を採用する上での障害も無くなる。本来は複合仕訳としたいような取引を無理に単純仕訳で表現している場合には、取引内容が理解しにくくなりかつ仕訳データの件数も増えるという弊害が発生しているはずだ。情報システムへのインパクトが大きいのですぐに対応するのは無理だろうが、長い目でみると一考の価値はあるのではないだろうか。
(*1) 複式簿記に損益計算のしくみが組み込まれたときに、「勘定科目」と別に「増減科目」を設けることをしなかったために、B/S科目とP/L科目というまったく性質の違う概念が「勘定科目」の中に同居することになったのだ。
2005年6月15日 加筆修正