簿記のテクニックのひとつに「本支店会計」というものがある。これは、会社がいくつかの支店や工場を持つ場合において、各支店(以下、工場を含む)がそれぞれ独立した帳簿を持つ制度である。
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「独立した帳簿を持つ」というのは、本店と各支店のバランスシート(B/S)をきちんとバランスさせる、ということである。そのための手段として、本支店間で取引する際には本店勘定・支店勘定というものを用いる。たとえば吹田支店の売掛金を本店が回収したとしよう。本店の当座預金勘定に借方記入し吹田支店の売掛金勘定に貸方記入するだけでは、本店・支店ともB/Sがアンバランスになる。そのかわりに、以下のように2つの仕訳を作成すれば、B/Sのバランスは崩れない。
①本店の帳簿上の仕訳
(借方) | 当座預金 | 1,000 | (貸方) | 吹田支店 | 1,000 |
②吹田支店の帳簿上の仕訳
(借方) | 本店 | 1,000 | (貸方) | 売掛金 | 1,000 |
本店帳簿上での「吹田支店」勘定残高は、本店から吹田支店に対する投資残高を意味する。吹田支店の帳簿上での「本店」勘定残高は本店から受け入れた投資の金額であり、資本金と剰余金を合わせたような性格を持っているともいえる。
このように、本支店会計では各支店がB/Sを(そして当然P/Lも)持ち、あたかも独立したな会社であるかのように扱われるので、簿記のテキストなどでは、本支店会計の目的を「支店独立採算制」と説明していることもある。
しかし、本支店会計を採用しているが「支店独立採算制」という意図は特にない、という会社もある。反対に、本支店会計が本当に独立採算制の実現手段であるなら、今日広く採用されている「事業部制」はまさに事業部独立採算制なのだから、本支店会計の「支店」を「事業部」に置き換えて考え、事業部ごとに帳簿を分割してもよいはずである。しかし事業部制を採っている会社において、こうした手法はほとんど採られないのである。
本支店会計のもうひとつの意義は、帳簿記録の管理責任を各支店に委ねるという点にある。吹田支店の経理責任者は吹田支店の帳簿上の売掛金残高と実際の売掛金未回収残高を一致させる責任を負っている。その責任をまっとうするには、吹田支店の売掛金に係わる仕訳は、かならず吹田支店の経理担当者の目を通るよう仕組んでおかなければならない。本支店会計は、まさにそうしたメカニズムである。
昔は情報共有手段が限られていたため、帳簿記録の管理責任を分割して委譲するためには、紙の帳簿を物理的に分割するしかなかった。その上で、各帳簿の整合性を確認するための手段として、本店・支店勘定というテクニカルな勘定科目が導入された(上記の例で言えば、本店の吹田支店勘定残高と吹田支店の本店勘定残高の残高を突き合わせることにより帳簿の不整合をかなりの精度で検出できる)。
情報技術が発達した今日では、帳簿記録の管理責任を分割するからといって、帳簿を物理的に分割する必然性はない。帳簿記録をひとつのデータベースに収容して、本店からも支店からも検索できるようにすれば済む話じゃないか、というわけだ。
こうした理由により、本支店会計を採用する会社は少なくなってきているのではないか。
私の経験した例で言えば、十年ほど前に経理システムを再構築した大手企業があった。その当時、その企業では各拠点(工場と支店)を単位とする本支店会計を採用されていた。その上で、経理業務の効率化の視点から、複数拠点の経理部門をまとめて主要拠点に集中化していく「拠点集中」という取り組みを、新経理システム再構築の狙いのひとつとして掲げた。あくまで「集中」であり「廃止」ではないわけだから、新経理システムは本支店会計に対応できるよう設計した。
先日、そのプロジェクトでご一緒に仕事させて頂いたキーパーソンとお会いする機会があった。その後十年のお話を伺うと、新経理システムを稼動してから拠点集中はどんどん進み、ついには本支店会計じたいが不要になってしまったそうである。その当時、経理部門の方々が本支店会計制度に対して抱いていらっしゃった(そして私自身も同意していた)信頼の強固さを思い出すと、深い感慨を覚える。これも情報技術が実務を変えた例のひとつだろう。
では、情報技術の発達で本支店会計の意義は失われてしまったのだろうか。念のために言っておくと、簿記学習上、本支店会計が重要であることは間違いない。本支店会計は(現在、ますます重要性が高まっている)連結会計の基礎をなしているからだ。しかし実務上の意義はどうなのだろうか。
情報技術が引き起こした変化は、正確にいえば、紙の帳簿を物理的に分割するということが、帳簿記録の管理責任を分割するための唯一の手段ではなくなった、ということだ。帳簿記録の管理責任を分割する必要性が存在することには変わりない。現在では、しかし、情報技術を適用することにより、もっと効率的・効果的な手段を採ることができるようになっている。最初に述べた売掛金回収のケースでは、たとえば次のような業務フローを考えることができる。
- 本店) 売掛金回収入力を行う。入力項目をもとに「(借)本店-当座預金 1,000 (貸)吹田支店-売掛金 1,000」という仕訳が作成される。それとともに、その通知が吹田支店の売掛金担当者に自動送信される。
- 吹田支店) 通知を受けて取引内容を確認し、本店側の処理が正しければ承認する。間違っていれば否認する。
- 本店) 否認取引の一覧を参照し、修正入力を行う。
- 本店・吹田支店) 月末には未処理取引一覧をもとに、全取引が処理済みであることを確認する。
逆に言えば、単に帳簿をデータベース化して各支店から参照できるようにするだけでは、本支店会計の必要性はなくならない。「本支店会計とは、本当は何の役に立っているのか」を分析して、「帳簿記録の管理責任の分割」といった本質的要件にまで落とし込んだ上でEDP化していくことが必要である。これは面倒くさいが見返りもある。本支店会計が行っているのは、本店と支店の帳簿管理責任を分割することである。しかし、支店といっても規模が大きくなれば、売掛金担当と買掛金・未払金担当は別の人かもしれない。EDPシステムならば、支店・勘定科目ごとに別々の担当者を管理責任者として登録できるようにするのは難しくはない。これによって、本店・支店間の連絡が経理業務上の隘路となる事態を避けられるかもしれない。本質的要件が明らかになれば、改善の機会も見えてくる。
結論として、先に投げた問いかけに私なりの答を出しておこう。本支店会計という「技法」じたいの重要性は確かに今後小さくなっていくだろう。しかしこの「技法」が解決しようとしていた問題(帳簿記録の管理責任の分割)は消えたわけではない。むしろ、会計にからむ不祥事が続発し内部統制の重要性に再び光が当てられている現在、ホットなテーマと言えるかもしれない。問題は、過去に蓄積された簿記上のさまざまな技法(これには本支店会計のほか、帳簿組織なども含まれる)について、本来、それぞれの技法が何を達成しようとしていたのか、だんだんわからなくなりつつある、という点だ。それぞれの技法は、形成された時代の技術的制約を受けながら、なんらかの問題を解決しようとしていた。そしてそれをかなりの程度、効果的に達成していた。だからこそこうした技法が今日まで生き残れたのである。しかし、情報技術の発達により前提となる技術的制約は根本から変わってしまった。これらの技法をそのまま実務に適用することは効率的とは言いがたくなりつつある。こうした現況を踏まえると、過去の簿記技法が達成しようとしてきたことは何か、もう一度振り返って整理し、現在の情報技術および企業環境の文脈の中であらためて、新しい簿記技法の体系を作り出すことが必要ではないか、と思うのである。