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会計×IT の深層へ

自分探しと肥満

 「したいことを仕事にしたいという言説」で僕は、「自分で意思決定して仕事を選び、それに十分の努力を投入する。そうすれば、たいていの場合、その仕事が天職であると思えるようになる」と書きました。
 しかし、この問題をそんなに簡単に解決できるなら、どうして世の中には「自分探し」をする青年・中年・老年が溢れているのでしょうか。


 まず、注意しておいた方が良いのは、これは、2007年という現在において若者である人々に固有の現象ではないという点です。たとえば70年代、団塊の世代が若者だったころには、本質的には同じ事象が「モラトリアム」という言葉を与えられていました(この記事をご覧下さい)。
 このころから、同じ病症が基本的には継続しているのです。それがニートやフリーターという形で顕在化してきたのは、親の世代が豊かになったとか、非正規雇用に対する需要が増えたといった社会的な構造変化によるもので、若者の側の変化によるものではないと思います。

 それでは、70年代に何が起こったのでしょうか。これは僕の想像に過ぎませんが、「職業選択の自由」という言葉が始めて実質を伴うようになったのが、この時代だったのではないか、と思います。それまでも、一部の特権的階級について言えば、そうした自由があったかもしれません。しかしみんなのものではなかった。食うためにはとりあえず目の前にある仕事を、何であれ一生懸命こなさなければならない、というのが70年代以前の普通の人々の境遇だったのです。というより、それまでの数百万年にわたる人類の歴史を通じてそうした状態が常態だったのですm(_ _)m。

 だから、人類は、目の前の仕事をとにかく一生懸命やらなくてはいけない、という状態には適応している。これが前のエントリで述べたことです。この場合、「自分で意思決定して仕事を選び」という条件に反しているじゃないか、とおっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。立派に選択肢があります。目の前のその仕事を頑張ってするか、飢えて死ぬかです。究極の自由意志じゃないでしょうか。

 しかし、「飢えて死ぬというリスクを少なくとも当面気にせずに、職業を色々と選べる」というのは、我々人類にとってきわめて馴染みのない状況です。生存機械としての人類はこういう状態に適応していません。だから選択できない人が多いのです。

 これは肥満の問題とパラレルです。人類はその進化の歴史を通じて常に飢餓と向き合ってきました。だから飢餓に対する備えは我々の遺伝子にビルトインされている。しかし、栄養が豊富にありすぎるという状態は、人類という生存機械の「設計」上、予期されていなかった。生存機械としての我々は、栄養が与えられる限りそれを摂取しようとする方向にプログラミングされています。だから、肥満に対処するには遺伝子に頼るわけにはいかない。理性と意思による節制が必要になるわけです。

 職業選択の自由についても同様です。職業の自由が与えられている限り享受しつくそうとする方向に、我々はたぶんプログラミングされています。職業選択欲です。自由がごく限定的であれば、そうしたプログラミングは奏功するに違いありません。食物がごく限られているときに、それを食べつくそうとするプログラミングが奏功するのと同じです。
 しかし、現代はそういう時代ではない。僕らの前には、ありとあらゆる職業の機会が、あたしを愛してよと言わんばかりに着飾ってデモンストレーションしています。特に若者にとってはこれが顕著です。こうした光景を前にして、僕らの職業選択回路はあわれにもオーバーフローし、空回りを始めてしまうわけです。これが「モラトリアム」とか「自分探し」と呼ばれる事象の実質です。
 これを避けるためには、意思で食欲を制御するのと同様に、職業選択欲を意図的に制御し、選択肢を刈り込まなければなりません。これは、絶対的にひとつの選択肢を選ばなければならない、ということではありません。たとえば一定期間だけ、職業選択欲を封印するという手もあります(「石の上にも三年」とはよく言ったものです)。また、器用な人なら、昼と夜とか、ウィークデイと週末という風に分けて複数の選択肢を組み合わせることができるかもしれません(しかし、あなたが、今現在、自分探しをしているならば、あなたはそれほど器用でない可能性が高いので、これはお勧めしません)。

 まあ、対処の方法は人それぞれで結構ですが、大事なのは、「モラトリアム」とか「自分探し」というのは、食欲を制御できない状態と本質的に変わらないカッコ悪いこと、意思が本能に負けている状態、と理解することだと思います。
 世間では、自分探しとかモラトリアムを、困ったものだといいつつ、一面では、「自己実現」なんかと絡めて高尚で精神的なことと考える傾きがあるのではないでしょうか(「うっせーな。俺は俺で悩んでるんだよ!」)。僕はそうではなく、これは、自分で食欲を制御できないことによる肥満と同じレベルの病症と考えます。

 どちらが適切かは、あなたの判断にお任せします。

Kei the (Programmer|Consultant) with Too Much (Fat|Self-Searching) …誰かのマネ