Web上の記事を読んでいるとSI業界の諸悪の根源として「多重下請構造」が槍玉にあげられていることがよくあります。これは、本当に正しい批判なんでしょうか。
たとえば、大手SIerの経営者がある日いっせいに「改心」して「協力会社」に頼るのをやめると決心したとしましょう。何が起きるでしょうか。仕事をこなすためには、協力会社の社員の大部分を自社の社員として雇うほかないでしょう。現在に数倍する社員を抱えざるを得なくなります。
そうしたSIer2社が一つの案件を争っていたとします。A社が勝ったならB社はどうなるでしょうか。この案件に当て込んでいた人員が浮いてしまいます。でも給料は払う必要がありますから大赤字です。場合によっては倒産とか大規模なリストラ、給与ダウンということになるかもしれません。一方、勝ったA社はどうでしょう。社内人員で足りれば良いのですが足りなければどうなるのでしょうか。経営者は協力会社に頼るのをやめたのですから、現有人員が超過勤務するしかないことになります(あるいはシロウトを採用するか)。デスマーチまっしぐらですね。
要するにSIのようにコストはほとんど人件費という業種で人員を抱え込むのは不合理だということです。損益分岐点が極めて高くなり、需要がちょっと下振れすれば大赤字、上振れすればオーバーフローというような脆弱な損益構造になってしまいます。
ですから、正常な思考能力のある経営者であれば、協力会社をあてにするのは当然です。事情は協力会社側でもたいして変わりませんからやはりそのまた次のレイヤの協力会社をあてにします。いわゆる多重下請構造は、各層の経営者のこうした合理的意思決定の結果として出来上がっているのだと思います。
また経営者ばかりでなく、業界で働く個々の人にとってもこうした構造にはメリットがあります。というのは、「案件をA社が取ろうがB社が取ろうが実際に働くのは同じメンツ」という状況が生まれるからです。つまり多重下請構造は、SI業界内に広く仕事を分配する機能も果たしているわけです。
僕は多重下請構造が善だというつもりはありません。品質に対する責任の問題、コストの問題、働く人々のモチベーションの問題、レイヤによる給与格差の問題など、この構造に少なくとも一部は起因すると思われるさまざまな問題があるのは良くわかります。とはいっても、ここで述べたように多重下請構造にも合理的な機能があるのであれば、その機能を無視して文句を言ってもはじまらないような気もするのです。