「日本は人件費が高いので、人海戦術的なソフトウェア開発は海外で安く調達することにした方が得ですよ」
続・インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。
主張の根拠はリカード流の比較優位論。
比較優位論からすれば、比較劣位にある商品は輸入した方が良いことになります。例えば「自動車産業」と「情報サービス産業」という2つの産業があって、日本とインドの生産性を比べた場合に、日本の「情報サービス産業」が比較劣位にあるなら、「情報サービス産業」はインドにお任せした方が良いということです。ここでの「情報サービス産業」は、いわゆるデス・マーチ系というか、あらかじめ決められた仕様に従って、ただただコードを量産するという感じのサービスを提供する産業、が想定されているのでしょう。
もう少しマイルドにいうなら、国を挙げて下請けと化しデスマーチを喜んでやってくれるというなら、やってもらえばいいじゃないですか(あまりマイルドではないかな?)。
論理構成自体については、あえて反対する気はありません(比較優位論だけで一国の経済体制を決めていいものかという問題はありますが、比較優位論に逆らってまで守るほど、日本の「情報サービス産業」が重要か、僕としては明確でないので)。
問題は前提にあります。
比較優位論の前提は、二つの「財」が明確に区別され、それぞれの生産性は独立に決まる、ということです。しかし、自動車と情報サービスは「財」としてそんなに明確に区別できるのでしょうか。最近の自動車はそれ自体ひとつの情報システムだと言われています。自動車の車載システムの開発をまるごとオフショア化したとしたら、「自動車産業」にはどれだけのものが残るのでしょうか。
これに対して、現在のところ一般的に考えられている対応は、「情報サービス」を「上流」と「下流」に分けて、下流だけオフショア化するということでしょう。しかしこの場合も、同じ問題が姿を変えて立ち現れます。「上流」と「下流」は明確に区別され得る二つの「財」なのでしょうか。つまり「下流」を手放して「上流」の生産性(=スキル)だけ維持することが可能なのでしょうか。
おわかりのとおり、この種の議論の落とし穴は、「情報サービス」とか「上流」とか「下流」が、それぞれ独立の財であるという前提を、深く吟味せずに置いてしまっている点にあると思います。上での例で言えば、むしろ「車載システム開発の最上流から最下流まで」をひとつの財とみた方が適切(すなわち、他の財からの独立性が高い)かもしれません(もっとモジュールを分けた方が良いかもしれませんが)。
情報サービス産業のインサイダーである僕たちが、今、一番真剣に考えるべきは、自分たちは何を「財(=商品)」として提供するのか、という点ではないでしょうか。